読書感想文の課題にもよく選ばれるほど、
不朽の名作と呼ばれる本作品
なぜ名作になったのかを考えながら紡ぎたい。
主人公は中学に進んだばかりの少女まい
彼女はいじめが原因で学校に通えなくなる。、
どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、
季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、しばらく休んで
大好きな祖母のもとで暮らすこととなった。
まいが英国人で魔女の血を引いているという祖母の家に預けられると、大好きな祖母から、自分たちの家系には不思議な力が受け継がれていると聞いて、まいも魔女になるべく手ほどきを受ける。
自給自足の穏やかな田舎暮らしのなかで
悪魔が寄ってこないためにも規則正しく生きることを心掛ける。
特にこの魔女修行においての肝心かなめは、
何でも自分で決める、ということだった。
感受性の強い少女の心のひだを丁寧に紡ぎながらも
まいが自分なりに生きる精神力を獲得していく姿が心に残る。
西の魔女のことばもなにか説教めいたところはなく、訓示的でもないのだが、心にすっと染み渡ることばが散りばめられている。
たとえば楽なほうに流されるという事象や表現を見たときに
なぜか感覚的にすぐにそれはいけない事だと思ってしまうが、
魔女は「シロクマがハワイでなくて北極に住んでいてもだれも責めない」と諭してくれる
自分が「楽なほう」と思うところは「自分が一番居心地がいい場所」でもあるわけで、つい生きにくいところで生きることを努力として奨励や美徳として捉えがちな現代において、生きやすいところを選ぶことを甘えではなく、ある意味多様性の一つとして肯定してくれるところにほっとさせられる読者も多いのではなかろうか。
魔女という表現からなにか魔法めいたことがあるのではないかと、まさしくハリーポッターや指輪物語のような事象を想像した方もいると思うが、そのようなことは起きない。
ただある意味、魔法は日常の様々な場所に溶け込んでいて
それは誰にでも扱うことができるのだが、
その魔法の存在に我々が気づいていないだけなのではないかと考えさせられる。
孫である少女まいから「大好き」と言われるたびに
西の魔女である祖母は「アイ ノウ」と返す。
貴女の愛を私は知っている、理解していると
祖母はきちんと正しく受けとってくれる。
人間の根幹を形成するうえでとても大事な時間を追体験できる物語である。
世の中には売れる本と残る本というのがある。
もちろん売れないと残ることができないのだが
売れても残ることができない本のほうが大多数である。
時の洗練を経て、いまなお残っている本はそれだけで価値がある。
そう思って数多にある本の中でも古典と呼ばれる本を中心に
有限の時間だからこそ、読んできた。
まだ本質的にはつかみ切れていないのが、
そこには共通する残る理由があるように感じられる。
本作品もまだまだ「最近の本」ではあるが
静かに長く売れ続けている(残っている)のをみると
古典となる日がすぐに来るのかもしれない。
蒼山継人