毎年5,6冊くらい執筆している内田先生の初の講演集。
2008年、2010年、2011年に行われた講演を収録したものである。
「知」というものの在り方、贈り方を総じて学ぶことができる。
本書の中でも先生が仰っている倍音の効果なのか、
水平的にも時間軸的にも一人の話を聞いたとは思えないほどの余韻が残り続ける。
第一講のみ詳細に伝えると神戸女学院大学を退官するときの講義で、神戸女学院大学や関西学院大学、明治学院大学の礼拝堂等を手掛けたヴォーリズ建築の特徴について語られ、「自らの手でドアノブを回したものに贈り物は届けられること」、「存在しないものへのかかわり方」を述べられ、そして「世界内部的に存在しないものと関わることを主務としているのは文学部だけ」と希望を残す。
その後の講演録も北方領土問題、政治やメディアの構造、ニチユ同祖論等の様々なテーマに触れられている。
特に教育投資に連なる、教育を一望俯瞰できるおぞましさを挙げ、そういった資本主義的な現状の学校教育に対して本来あるべき姿に関して多くのメッセージが詰まっている。
最後には文庫版の付録として共生する作法について残されている。
内田先生の本は愛読している筆者としてはどこかで聴いたような話が多いのだが、講演のときの勢いがあるせいか、よりアップデートされて、既知がまるで未知との遭遇のように思える。
人間を「人間」たらしめるものは何か。
朝四暮三の故事からそれを「夕方の自分も朝方の自分も同じ自分だ」と思える能力である。
内田先生が師事したレヴィナスは他人と他者の言葉の意味を分けて考えており、「他人」とは過去・現在・未来の観点で現在における自分以外を指し、「他者」とは過去・現在・未来のすべてを内包した、たったいまこの瞬間の私以外を指していると示した。
この他者には過去の自分と未来の自分さえも含まれる。
そしてレヴィナスはこの他者に対して、誠実であれと言う。
知とはまさしくかくあるべきではないか
そう考えさせられる、まさしく倍音響き渡る言葉の書である。
蒼山継人